七割打者のティーバッティング

文化系クズでホワイト職場のサラリーマンが直感のみで書く雑記。よくて精度70%。仕事風景、恋愛、都市、その他考察など

リアルで言えないことばかりブログに書く自分をこう分類する

昨夜、職場から家までの道をとぼとぼ歩きながら、僕は無意識に「書きたい」「書くことがないけど書きたい」と呟いていた。確かに書きたいのだけど、書くことは本当にない。

いつものことだが、書きたいテーマが浮かんだ時、仕事中などですぐには書けない状況にあるから、あとでと思ううちにテーマが消える。さっきまで憶えていたのに、何を書きたかったか全然わからない。今書いているこの記事にしたって、さっきまで何か案があったはずなのだが、今や手がかりさえつかめない。そんなわけで「記事を書く」をクリックしてから内容が思い浮かぶのを待っている。

そんな風に1か月書いてきた拙ブログも、この記事が20本目になる。自分が19本も一体何を書いたのか、これまでの記事を読み返してみた。読み返したくないどころか消したいものがある。ただ、今それをやると記事数がまた20を割ってしまうので、間引きは日を改めて実施しようと思う。

さて、19本、書いてきたテーマはバラバラだが、ひとつ共通することがあった。僕が誰にも言ったことがないことを書いている。最初のうちはそうでもなかったが、だんだん、自分の心の声のようなものの記述が増えている。

書きたい、という呟きはこれだろうか。僕のなかで、自分の内面にある声を文章にしてみたい欲求が高まっているのだろうか。確かにそれなら、書きたいことがストックされないのも納得がいく。僕にとって心の声は、同じものが心の中で常時固定的に流れているわけではなく、瞬間瞬間、浮かんでは消える泡のようなものであり、その瞬間にすくい取れなければどこにも残らないものだからだ。
そうだとしても、自分を解放したいだけなら心の声を日記に書いてもいいはずだ。しかし、僕は公開の場で書いている。なぜだろうか。ここは他のブログと違って「情報」が全く書かれていない。誰の役にも立たせるつもりがない。それにもかかわらず、なぜ僕は、不特定の他人に向かって自分のトップシークレットを発信しているのだろうか。

ひとつには、このブログが多くの人に読まれていないから、ということがある。あまり世間を意識せず、自分のノートに近い感覚で気楽に書け、記事を増やすことにはつながっている。しかし、それだけが理由ではない。
書くことに限らず、自らを解放する行為は、他人の前でなされなければ完成しないのだ。

日頃の僕達の生活ぶりを考えると、自分しかいない場所で自分の内面の声を素直に表現することじたい簡単なことではないだろう。だから、それをするだけでも意味はある。しかし、それだけで終わってしまえば、本当の意味で自分を解放したとは言えない。同じことを他人の前でできなければ、他人の目を振り切って自分を出すことができなければ、自分を解放したとは言えない。

僕はこれを求めているのだと思う。ブログを書くことを通じて、不特定いずれ多数に向けて自分の恥部を発信することを通じて、人前で自分を出すコツをつかみ、従来の自分の殻を破りたい。それによって、今よりも精神的に自由になりたい。
別に恥部をさらけ出す以外の方法も十分あるはずだが、こうせざるを得ない僕は、若干趣味が悪いかもしれない。そんな自分をあえて名付けるとしたら、精神的露出狂だ。


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