七割打者のティーバッティング

文化系クズでホワイト職場のサラリーマンが直感のみで書く雑記。よくて精度70%。仕事風景、恋愛、都市、その他考察など

年賀状文化が残存する職場に異動した年賀状卒業者の思考

世の中は、華やかなクリスマスムード一色に見える。しかし、その陰で、この時期には多くの人の頭上に鉛色の雲のようにまとわりつく、どんよりした気分がある。年賀状をつくらなきゃ…という負担感だ。

特に子育て中の主婦は、全体のデザインを選び、今年の家族写真から選りすぐりの数点を抜き出し、そしてそれらを配置する作業に手を抜きたくない人が多いだろう。勝手ながら、家の掃除と並んでこの時期の主要なタスクになっていることと想像する。

僕は年賀状をやめた。一昨年は自分から出すのをやめ、来た分にだけ返した。昨年は返すこともやめ、全廃した。仕事にせよ何にせよ、手間がかかるのは物理的な作業で、年賀状もそのひとつだ。
僕はFacebookなどもやっていない。年賀状的な意味合いの行動は何もしない。年賀状の廃止は、昔のケータイで機種変更の際に電話帳のリストラを断行するような気持ちだ。年賀状しか繋がりがない人のことを考えると惜しむ気持ちもなくはなかったが、この晴れ晴れとした解放感は何物にも代えがたい。

問題は、僕の実家が郵便局関係者で、親に年賀状全廃を言っていないことと、今年異動した部署に年賀状文化が根付いていることである。親の方はずっと黙っておくのが親孝行というものだ。今は、職場で僕がどう立ち回るかが試されている。

うちの職場は女性が多い。
先日、年長の女性が「そういえば、そろそろあの時期だね」と後輩にボソッと言い、その後輩は楽しそうに「準備します!」と返した。僕はその様子を、クリスマス女子会でもやるのかと眺めていたのだが、ほどなくして、「今年もお役立てください!」と年賀状用の住所録が配布された。
一読して不安が頭をよぎった。僕の上司も部下も女性ばかりだ。果たして、中間管理職である僕が自分を貫いてこのムードに乗っからないことが許されるのか。

そうは言っても、ハガキが手元になく買う気もない。出すという選択肢はない。僕が考えなければいけないのは、それで許される理由もしくはキャラを確立することだ。
そう思い直した僕は、セコい活動を開始した。

この時期は、年末のご挨拶と称して飛び込みで来る業者、最終週にご挨拶に伺いたいとアポ取りしてくる業者が多い。僕は元々前者が嫌いだ。彼らにとっては何かのついでかも知れないが、こちらとしては、なんの意味もない行動で唐突に邪魔されている。また、後者も、わざわざアポ取りして用件が挨拶だけなら来なくていい。
ついでに言えば、会社でも、仕事納めの日にあるレベル以上の役職は上層部への挨拶を行うのだが、年度で動くうちにとって年末年始が何の区切りになるのか全くわからない。来週になれば会うよね?僕達。同じぐらい休むゴールデンウィークでは、もちろんこういうことはしないが、僕は年末年始を休暇としか思っていないので、GWと違いはないと思っている。

ということを、例えば業者が挨拶に来た後などに、僕は感想として周囲にさらりと述べる努力を始めた。俺って形式的な行事とかに懐疑的なんだよねというアピールである。
これが積み重なれば、この人はきっと年賀状も嫌いに違いないという認識が共有されるはずだ。

しかし、これは長期的展望に基づいた仕込みでしかない。近日中にはどんな形であれ、職場に対して僕の方針を明確に伝えなければいけない。そこで自分が次のどちらの道を行くか試される。
①「あ、私、年賀状やってないんで」
②「ごめんなさい、手違いでハガキが足りなかったので出せません。来年もよろしくお願いします。皆さんよいお年を!」

…②…かな……
出すより消耗してないか、これ。


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