七割打者のティーバッティング

文化系クズでホワイト職場のサラリーマンが直感のみで書く雑記。よくて精度70%。仕事風景、恋愛、都市、その他考察など

近年、自分が内心「こうなればいいのに」と思ったことの実現が早まっている

誰でもそうだと思うが、日々の生活の中で、世の中に対し「こうなればいいのに」、「これをやってみればいいのに」とか、自分の住まう地域について「こんな風に変わればいいのに」などと思うことがよくある。最近、僕はこのことに関して恐ろしい事実に気がついた。

思ってから実現までがとても早い。僕が心の中で思って、1年もしないうちに実現している。このことが示すのは、自分は、空想のレベルでさえも世の中の先を行けておらず、時代に置いて行かれ始めているという事実である。
社会や地域で何か変化を生み出そうと思ったら、大小にかかわらず準備がある。関係者も多い。まずアイデアなり問題意識なりのきっかけがあって、水面下で調整しながら企画が進行し、最終段階で目に見える形になったところで僕のような一般市民が初めて知る。
つまり、多くの場合、僕が「こうなればいいのに」と思った時点ではすでに、関係者の頭の中にはそれがより具体的な形で存在している。僕はもう、ふと思うだけの行為ですら世の中の後塵を拝している。

昔はそうではなかったと思う。
僕は、高校時代をインターネットが普及する以前の世の中で過ごした。この時代に、世の中に対する自分の意見というものを発信しようと思ったら、学校で友達に話すぐらいしかなかった。
ただ、話しても友達の関心の外だったり、僕の主張が荒唐無稽だったりすることが多く、いつしか人に言うのは控えるようになった。まだ自分が確立していない年頃だったこともあり、自分が現実的に考える力を持っていないから他人が自分の主張を受け入れないのだ、と自分を責めたことも何度かある。

インターネット社会の進展とともに、僕は社会人になり、世の中がすごいスピードで変わるようになった。学生時代も似たスピードで変わっていたのかも知れないが、親元を離れ怠惰を極めていた僕は社会のことに全く関心がなかったので、周辺の変化に何も気がつかなかった。爆発的に普及したパソコンも、僕にとってはエロ画像と出会い系が詰まっている箱でしかなかった。
それはともかく、20代の自分を取り巻く環境がどんどん変わっていく中で、僕が高校生の頃ひそかに考えたことが実現している、かつての自分が「こうなればいいのに」と思った世の中が到来しつつある、と思う回数が増えた。それが今から10年ほど前のことだ。
この頃は、当然といえば当然だが、10年先を行く俺の先見の明スゲーと思ったし、高校時代の自分が救われた気がしていた。

就職したばかりの頃、僕は、自分が身を置く業界にも、就職先にも、待遇にも住んでいる街にもことごとく不満があり、早々に現状から脱出しようと転職活動をしたことがある。しかし、最終的には、自分の感性が時代の先を行っているのだから、おそらく安住の地はなく多少の不適合は止むを得ない、時代が自分の許せるラインまで進展する可能性があるから少し様子を見ようと考え、転職を思いとどまった。面接の日が迫っていたが、丁重に辞退してその時間は風俗に行った。
今振り返れば、よくもそんな傲慢な視点を本気で持っていたものだと思うが、結果として、当時の自分の判断通りにことは展開し、それと同時に年数を経て待遇面が向上したことにより、転職の必要性を感じなくなった。

仕事に関して言えば、自分の業界の注目度が高まり、社会的なイメージが向上するとともに志望する人材が増えた。それにより忙しくなった側面はあるが、手がける仕事はより幅広く、手応えのある面白いものになった。
生活の目線で言えば、街にできてほしい店ができ、建ってほしいビルが建ち、ついてほしい道路がついた。また、こんなことやれば良いのに、と思っていたイベントが実際に生まれ、すっかり定着し、地元の対外的な知名度も向上した。

こうなるまでに要した期間は7年ほどだった。10年先を行っていたのが3年分失速しているわけだが、30歳そこそこの僕は、この時代に7年先とは俺の感性スゲーとまだ思っていた。
それから7年、もはや時代が僕の数年先を行っている。仮に、少し前まで僕の感性が本当に世の中より先を行っていたとしても、今は自分が後ろにいることに変わりはない。日常に埋没するうちに、ふと気がつくと追いつかれた。追いつかれると、後は見送るしかない。
時代は、スマホの世の中になってさらにスピードを上げ、僕から遠ざかっていく。何せ僕、先月からブログ始めてるぐらいだし。


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