七割打者のティーバッティング

文化系クズでホワイト職場のサラリーマンが直感のみで書く雑記。よくて精度70%。仕事風景、恋愛、都市、その他考察など

サラリーマン大いに結構論

僕がブログを書き始めて約10日、やはり目を引くのはプロブロガーの人達だ。その周辺も含め、会社を辞める、好きなことをして生きていく系の主張が多いが、サラリーマンの良さを伝える人はなかなかいない。

それは、脱サラしたあるいはしたい人の発信だから当然のことなのかも知れないが、誰も彼もホリエモンのようなことしか言わない。僕はホリエモンは好きだが、あの人はオリジナルだから魅力的なのだ。
なんとなくブログ界ではサラリーマンの旗色が悪そうなので、今回僕はサラリーマン側の立場からその良さを検証してみる。
 
さて、僕は現在38歳、従業員数3000人規模のところに勤めており、15人ぐらいの部下がいる。環境はホワイト中のホワイトと言える。年収はここ3年720万円、平均月収60万円ペースだ。
自分が作家だったとしたら、今もらっている分ぐらい稼ぐのにどれだけ売れる必要があるのだろうと考えたことがある。
連載でなく全部書き下ろしだとして、印税10%で1000円の本を7万部刷ってもらわなければいけない。1年1タイトルで稼ぐなら毎年ベストセラーだし、そうでないなら相当な多作になる。いずれにしても、かなりの才能が要求される。
そう考えると、おカネというのはあるものだ。僕のようなサラリーマンは世の中に掃いて捨てるほどいるが、週5日拘束されることと引き換えにしても、並の作家より割がいいと言える。
不平不満、額の大小はあるにせよ、どこのサラリーマンでも何百万という決して安くない給与を毎年受け取っている。仕事ができてもできなくてもだ。日本中のその合計を想像すると、何やら恐ろしい。
こう考えて僕は、特に頑張らずにこれだけもらっているのだから、それなりに時間を差し出していても不思議はないと思った。こう考える意識の低さは目を覆いたくなるものがあるが、時間と報酬の関係で言うと、別に不当ではないのではないか。
 
何だかんだ言って、サラリーマンは安定している。それは幻想だ、どこだろうと将来の保証はない、と言う人はいるかも知れないが、少なくとも数年は高い確率で見通せる。たった数年なんて安定のうちに入らない?いや、子どもが大学に入る年であれば、あと4年安定してくれればどうにかなる。高校に入る年なら7年だ。
 
加えて、組織には人間関係があり出会いがある。とくに、大きい組織は女性が長く働くための環境が整備されており、女性の数が比較的多い。そうなると、もちろん人によるが、そこに属する男性サラリーマンにはモテるチャンスが付与される。ある程度仕事ができて、周りを見る余裕があれば、わりとモテる。
 
このようにサラリーマンは、雇われの身分とひきかえに、安くない給与とある程度の見通し、さらにモテ機会まで与えられる。要は学校の延長である。
「学校」「サラリーマン」といえば、不合理の代表として、これからの時代には否定されるべきもののように言われるが、僕は必ずしもそうではないと思う。「学校に行く→社会に出る」という、人生最初の20年間の世界観を更新しないまま生きていけるのは、それはそれで労力も精神的負担も小さく、その角度からみれば低コストである。
(なお、「社会に出る」という言葉は、学校時代の次が社会人という意味で使われているわけだが、僕はもはや死語であると考えている。小学生でも、手に持っている画面のなかはすでに社会だ。)
 
ただし、学校でも勤め先でも同じだが、ブラックでないことはきわめて重要だ。人に酷使されることで時間を奪われたり、ハズレの人間関係で傷ついたり、心身の健康を損なうことがないことを前提として、組織に属することはわるくない。
脱社畜という概念が常に脱サラとイコールで語られているが、脱ブラックでホワイトを目指すのもりっぱな脱社畜ではないのか。
 
ここまで、サラリーマンのメリットについて、仕事の内容をぬきにして検討した。では、仕事の内容はどうだろうか。
やはり、組織の仕事の方がムダは多い。人事異動で不本意な業務に従事することがあり、形式的な作業に時間を取られることも多い。それらすべて、誰かの指示であることが一層ムダを感じさせる。
しかし、大きなことができるのも、また組織である。自分で稼ぐ人がサラリーマンを否定するのであれば、何らかの事業を営む立場から言うべきだ。プロブロガーが広告やアフィリエイトで稼いでも、それは金額だけの話であって、内容は仕事を辞めたいネットビジネス初心者を高揚させているだけだ。ごくごく一部の人を除き、社会や地域に対して何をしているわけでもない。この点では、まるで比較にならない。
 
なお、サラリーマンも、組織で好きに動けるポジションを得られれば、不本意な異動やムダな作業をずいぶん回避することも可能ではある。人によっては「あぶない刑事」並み、「地雷震」の飯田響也並み、治外法権レベルまで自由になるケースもある。
とは言っても、これには実力、自分を特徴づけるテクニック、組織内での立ち回りのセンスや度胸等、ほぼ属人的な能力が要求され、誰でもそうなれるとはかぎらない。また、うまくいくとしても仕込みに少々年数がかかるのが難点だ。
 
現代は、とにかく待たない時代だ。待ち時間を排する時代といえる。先進的な感覚をもつ人達は、効率という言葉のもと、時間のロスを徹底して避けようとする。日々の中の時間だけでなく、もっと長期的な、「修行時代」のような人生の時間もである。
それ自体は正しい。これまでの大人の社会にあった欺瞞を暴き、無意味な待ち時間をなくすことは歓迎すべき流れだ。
それを踏まえて、現代人の人生上、組織にいることで課せられる待ち時間が許容範囲内であるのなら、あるいは能動的に時間を使うことが苦手だったり面倒だったりで、学校時代の延長が性に合う人なら、サラリーマン稼業はアリだと言える。
ただし、サラリーマンもリスクはある。心身の故障、その他の理由による強制退場が怖い。世帯レベルでの副収入の確保、健康管理、懲戒を受けないこと等、自分なりの備えは必要である。
 
なお、自分がその仕事を好きかどうかについては、やっていたら多少なりとも好きになるのが普通だと思う。結局問題は、職場を好きになれるかなれないか、なんだろうな。


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