七割打者のティーバッティング

文化系クズでホワイト職場のサラリーマンが直感のみで書く雑記。よくて精度70%。仕事風景、恋愛、都市、その他考察など

20年ぶりの床屋で、AI時代と理容業の未来を考えた

20年前、僕が最後に美容院に行った際の、実にしょうもないエピソードを書いた。
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その記事の終わりに書いた、長年の空白を経て床屋さんに行った時のことを記録する。
僕が行ったのは、自宅から徒歩数分のところにある理髪店だ。周囲300mには美容院も3~4軒ひしめく中、長年やっている。代替わりもしているので、数十年続いているはずである。
まず総合的な感想として、理髪店はとても良く、非常に気に入って家路についた。
美容院しか知らない女性に言ったらたいてい驚かれたのだが、テレビが観られる。テレビを観ていたら1時間で終わるのが非常に楽だった。僕は日頃全然テレビを観ないので、たまに観るのは楽しかったのもあるが。
それと、理容師ならではの顔剃りは気持ちよかった。後で顔を洗ったらヒリヒリするのだが、やはり仕上がりが綺麗である。20年ぶりの顔剃りでも体は剃られ方を覚えていて、全く違和感はなかった。

テレビを観るだけでなく、店主の繊細な仕事ぶりを鏡越しに見ながら、僕は、この仕事はAI時代も生き残るのだろうかと考え始めた。
人間の髪やヒゲは必ず伸びる。いくら世の中が高度にスマート化しても、必ず、理髪が必要とされる。それを自宅でない場所で行う必要があるか、そして人の手で行う必要があるか、つまり機械で代替できるようになるかがポイントだ。

理容師、美容師はそれぞれ別の法律で定められた職業である。理容師法は1947年、美容師法は1957年の制定で、どちらの法律も、第1条に定めるその目的は「公衆衛生の向上」とある。
これに関しては、今の時代どうなのかと思う。法の制定から6~70年、洗髪や髭剃りは自宅でするのが当たり前となり、そのために必要なアイテムもどんどん進化している。現代において、理美容所が提供するサービスのうち、伸び過ぎた髪を切ること以外は、公衆衛生というより生活文化の分類に移行していると言える。
そうであれば、業として法でがっちり守っていた意味合いも薄れており、規制は緩和の方向にむかうのが自然であると考えられる。(美容院で男性にカットだけのサービスをすること、理髪店で女性にパーマをかけることは2015年まで規制されていたようだ。)

その考えを踏まえ、個々の髪質や頭の形などに応じて常にケースバイケースであるカットの判断、刃物の扱いに関する安全性を十分クリアできる機械が登場すれば、条件付きで、人の手でなくてもよいとする規制緩和は起こり得ると予想する。(刃物によらず髪を切る方法が生み出される可能性もあり得る。)

ただ、僕は、10年15年ではテクノロジーによる淘汰は起こらないと考えている。第一に、今の理容師・美容師と同じレベルのサービスを提供できる機械の登場には時間がかかる(不可能という人もいる。)と思われる。第二に、前述したように、理美容が生活文化の一部となっていることも理由である。
髪を切った後の自分は、単に短く刈った場合はともかく、他人に見てもらってナンボの要素がある。人間を介さない散髪より、切った人が最初に見て、納得してくれている方が精神的に楽ではないか。
また、理髪店に関して言えば、メイン客層である男性高齢者は、よほどの理由がなければ、確立した生活パターンを変えたくないだろう。例えばいま65歳の人は、体が動く限り同じ店に行き、同じサービスを受けたいはずである。その先、店主と客層の新陳代謝が進めばわからないが…。


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